「良性だと思う」という言葉を信じ、日常を取り戻そうとしていた矢先の、主治医からの突然の電話。告げられたのは「悪性星細胞腫グレード3」という現実でした。絶望の淵で妻と涙を流し、幼い娘の寝顔に胸を締め付けられた日々を経て、私が行き着いた「時間の使い方」についての記録です。

鳴り響いた予定外の電話。嫌な予感

手術から1ヶ月後の診察を待っていたある日、見知らぬ番号から電話が入りました。受話器の向こうからは、主治医の声。「病理検査の結果が出たから、予定を早めて診察に来られないかな?」

その一言で、心臓の鼓動が早くなるのを感じました。術後は「良性の所見だと思う」と言われていたのに……。信じたくない、けれど否定できない不安が、じわじわと全身を侵食していきました。

診察室での告知、帰宅の車中での号泣

診察室で淡々と述べられた「悪性星細胞腫グレード3」という名の現実。あまりのショックに、私は現実逃避するように半笑いで妻の顔を見てしまいました。病院を出るまでは二人とも平然を装っていましたが、限界はすぐに訪れました。

帰路、赤信号で止まった瞬間に妻が泣き崩れ、道路脇に車を止めました。それにつられるように、私も声を上げて泣きました。ようやく、自分の身に起きたことを本当の意味で受け止めた瞬間でした。

「グレード3」という数字と向き合う日々

家に戻ってからは、憑かれたように「悪性星細胞腫」という言葉を検索し続けました。余命、予後、生存率……。暗い情報ばかりが目に付く中で、「グレード3でも寛解(かんかい)することがある」という一筋の光を見つけ、なんとか心を支えました。

しかし、無邪気に遊ぶ娘の姿を見るたびに、涙が溢れて顔を見ることができない。そんな、張り裂けそうな数日間を過ごしました。

「時間は誰にでも限られている」という気づき

そんな絶望の底で、一つの考えていて思ったことがあります。「健常者であっても、病気であっても、人生の時間は等しく限られている」ということ。当たり前のはずの事実に、生まれて初めて心の底から気づかされたのです。

「泣いて過ごしても、笑って過ごしても、同じ1日」。

そう決意してからは、娘と思いっきり遊び、1年で2度もディズニーへ行きました。これからも、限られた時間を愛おしみ、大切に使い切ろうと思っています。