手術は無事に成功。しかし、目を覚ました私を待っていたのは、思うように動かない左手と、脳が発する悲鳴のような症状でした。リハビリ職として「治るプロセス」を知っているはずの私が、自分の機能低下に直面して抱いた焦りと、プライドをかけた執念のリハビリ記録です。

術後を襲う「脳の悲鳴」と、失われた左手の感覚

私の腫瘍は、運動を調整する「補足運動野(ほそくうんどうや)」という場所の近くにありました。そのため術後、左の手足、特に指先の機能が著しく低下してしまいました。

さらに術後3日間は、脳が勝手に震えるような微細な発作や、2日目から始まった猛烈な吐き気に襲われました。朝食に食べた玉子豆腐。昼食の匂いを嗅いだらこみ上げて来て嘔吐🤮、言語聴覚士さんと看護師さんに助けてもらいました。

また、38度を超える高熱が続き、夜中もクーリングなしではいられない過酷な時間が続きました。

専門知識があるからこそ膨らむ「復帰への不安

「2週間もすれば治るよ」という主治医の言葉。脳の仕組みを勉強してきた身として、その言葉の根拠は理解できました。しかし、いざ自分が「握ったものを離せない」「目を閉じていてという指示が守れない」といった注意・判断力の低下を実感すると、話は別です。

「本当にリハビリ職として復帰できるのか?」

普段当たり前にできていたことができない。その現実に、心の奥底で言いようのない焦りに襲われました。

リハ職のプライド。妻の支えと執念のトレーニング

動かない左手、力の入りにくい左足を前に、私は「患者」として、そして「一理学療法士」として奮起しました。

ゴルフボールを箱に入れる、ビー玉を転がす……そんな簡単な作業に手こずる自分を奮い立たせ、妻に買ってきてもらった粘土やプッシュポップで暇さえあれば指を動かしました。

「リハ職としての意地」もあり、廊下でのウォーキングや筋トレも欠かしません。幸い、最も重要な「一次運動野」”身体に直接指令を出す場所”が守られていたため、先生の予言通り回復は早く、1週間ほどで退院の目処が立ちました。

消えない違和感。退院後も続いた「地味にきつい」後遺症

身体機能は戻りつつありましたが、目に見えにくい後遺症が私を苦しめました。

鼻の奥に居座る消毒液の匂い、頭を揺らすと脳が「ちゃぽん」と揺れる感覚、起き上がる時の立ちくらみ。そして、些細なことでイライラしてしまう感情のコントロールの難しさ……。

これら「地味にきつい」症状は、退院後も1〜2ヶ月、あるいはそれ以上にわたって私の日常に影を落とし続けました。