第9話:職場復帰

🚌 運転できない壁、バスと電車で繋いだ通勤路
車で30分だった職場への道。てんかん発作後は運転が制限されるため、バス・電車・徒歩を乗り継ぐ50分の通勤路に変わりました。
身体はまだ治療の影響で重く、慣れない公共交通機関での移動は体力を削ります。しかし、一歩一歩職場に近づく時間は、私にとって「日常を取り戻すためのリハビリ」でもありました。
⏱️ 仕事、移動、放射線治療、分刻みのタイトな日常
復帰後のスケジュールは、想像以上に過酷なものでした。
14:30まで時短で勤務し、終わり次第すぐに駅へ早歩きで駆ける。電車でかかりつけの病院の最寄り駅まで移動し、そこから徒歩15分で病院へ。10分間の放射線治療を終えてようやく帰宅する。
「今考えたら、余計に周りに心配をかけたかも……」という思いもありますが、当時の私には「まだ仕事ができる」という希望が必要だったのです。
🤝 仲間の支えと、綿密な面談で守られた居場所
職場への復帰は、自分一人の力では到底無理なことでした。
頻繁な通院を考慮したシフト調整、身体を気遣ってくれる同僚たちの声、そして何度も面談を重ねて働き方を一緒に考えてくれた上司。リハビリ職として「自立」を促す立場の私が、これほどまでに人の温かさに助けられ、居場所に生かされていることを、身に染みて感じた日々でした。
☀️ 失って気づいた「身体が使えること」のありがたみ
放射線治療が終わり、月一回の診察に落ち着いた頃、私は改めて「働くこと」の意味を考えていました。
自分の身体を使い、誰かの役に立てること。それがどれほど尊いことか。病気になり、一時はすべてを失う恐怖を味わったからこそ、今、目の前の仕事に向き合えること、身体が使えることが心からありがたい。限られた時間を「今、自分にできること」に全力で注ぐ――それが、がんを経験した今の私の生き方です。
🩺 PT(理学療法士)として、振り返って思うこと
リハビリ職として、私はこれまで「復職を目指す患者さん」のリハビリに何度も関わってきました。「いつ戻れますか?」「どこまで配慮してもらえますか?」——患者さんからよく聞かれる質問でしたが、当事者になって初めて、その問いの背後にある「働ける自分でありたい」という切実な願いを本当に理解できました。
そして、運転制限。てんかん発作後の運転禁止期間は、医学的には当然の措置です。でも、それが日常に与えるインパクトは想像以上でした。「車で30分」が「50分の公共交通機関」に変わる——たったそれだけのことが、毎日の体力と精神力を消耗します。
復職に際して、何より大きかったのは同僚と上司の存在です。「無理しないでね」の一言、シフトの細かい調整、何度も繰り返した面談——これらは、医学的なリハビリでは絶対に補えない「社会的リハビリ」でした。だから今、職場復帰を準備中の患者さんには、「リハビリ室での訓練と同じくらい、職場との対話を大切にしてほしい」と伝えています。
そして最後に——「身体が使えること」のありがたみ。これは病気を経験して初めて気づいた、私にとっての一番大きな贈り物です。リハビリ室で患者さんと向き合う時間が、以前とはまったく違う重みを持つようになりました。「動かせるって、すごいことなんですよ」——そう伝えられるPTになれたことが、この9話分の人生の、私なりの答えです。
🌅 シリーズを締めくくって
第1話のてんかん発作から、ここに至るまでの9つの物語。発症、診断、手術、後遺症、告知、未来への種まき、Stuppレジメン、副作用、そして復帰——2024年のあの夜から、私の人生は確かに「別の物語」に変わりました。
でも、変わったのは「失ったもの」だけではありません。当たり前の日常への感謝、家族と過ごす時間の重み、患者さんに向き合う眼差し——これらは、病気を経験しなければ手に入らなかった、私だけの財産です。
このブログは、これからも「PT × 脳腫瘍サバイバー」として、同じ道を歩む方とそのご家族のために、私が体験した 「知識と感情の両側」 を書き続けます。読んでくださったすべての方に、心からの感謝を。











